コミュ障とライブ

I am コミュ障 である。
これは思春期の若者の間で流行りのセルフキャッピングなどではなく厳然たる事実に過ぎない。そして私は思春期の若者ではない、厳然たるおっさん、齢39である。そも39歳にしてコミュ障など許されるのか、という気がしないでもないけれど肉体年齢をムダに重ねたダメ大人が一定数存在するのも事実。自分もそこに連なる者です。

話を戻そう。
まずコミュ障とはなんぞや? といえばコミュニケーションに関する障害のことだが――

コミュニケーション障害(コミュニケーションしょうがい)=コミュニティ障害は対人関係を必要とされる場面で、他人と十分なコミュニケーションをとることができなくなるという障害のこと。コミュ障(コミュしょう)とも称されるが、これは実際の障害とは関係なく単にコミュニケーションが苦手な人を指すネットスラングとして使われることが多い。

ウィキペディアより引用

コミュニケーション(に)障害(を持つ)者、略してコミュ障と考えて差し支えなかろう。上に書かれるとおり、”障害”という重篤な単語を含みながらも往々にしてスラング的に、薄く軽く捉えられがちだ。実際は結構深刻。
やや脱線するが、昨今使われる”障がい”という表記に対して私はなーんにもやさしさを感じないのでここでは”障害”という表記で貫く。あの問題は色々とうっすい”有識者”が

「気にしてますよ! 私やさしいですよ!」

とアピールせんがためにガワだけ気にしてるように見える。お前の世間体に世間様を巻き込むんじゃあーないよ。
現千葉市長・熊谷俊人氏の主張はもっとリベラルにこの問題へ言及しており私の言より共感できるので、気になる人は調べてほしい。(参照

ライブ配信の話

話を戻そう。本日2度目。
そんなコミュ障の私だが、ニコニコ生放送をしている。YouTubeライブ配信をしている。といっても顔出さずしゃべるだけ、映像はゲーム画面といった具合。

生放送・ライブの私は皆さまの眼/耳へどのように映ってるだろうか? 私に知る術はないが、こちらはいっぱいいっぱいであることをお知らせいたします。
第一に、人並みにしゃべることが難しい。流麗に言葉が出ない。詰まるし噛む、そしてなまる。いやなまるのはいい、ポジティブに捉えている。声聴いて不快な人はケツまくって逃げるか、お使いの端末を破壊するといい。

記録に残ってる最古のmz配信は2017/06/08ニコニコ生放送『追加ストミ初回プレイほか』。この頃はゲリラ的にサッとやってパッと終わるスタイル。今のような定期開催はせず告知もせず完全自由にやってた。
年が明け2018/02/17のベース召喚SP100回以降はニコ生の録画をYouTubeへ流しており、ここからは今も閲覧可能
とまあ最古のログを振り返ってみれば1年以上続いたことになるのだが。少しはコミュ能力上がったのか・・・上がってると思いたい。それが目的なんだから。

ゆうても私という人間の未熟な部分が成長するわけじゃない。コミュニケーション能力という人格に近い部分ではあっても、人格とスペックは別。
どうにも気になるのが、私の不出来で不快な気分になる人がいないかどうかだ。
ありがたいことに最近コメント多く、多すぎて拾えないこともままある。そこで(´・ω・`)ショボーンとした人がいたらこれはもう陳謝するしかない。
一方でコメ拾いに終始して言いたいことも言えないこんな世の中も困ってしまう。
もっとたくさんの人を相手にする上位生主は比べ物にならないほどのコメントを受けてるわけで、そんな中から取捨選択できるのはえらいことだ。
うちもそんなふうにサラッと放送をしたいもの。しかし『人とコミュニケーションをとる』って主目的には反しててぐぬぬ。人間万事塞翁が馬。

色々書いたが放送にいらしてくれる皆様にはマジ感謝、もとい感謝しかない。ありがとうございます。
コテハンついてるとmzの記憶にもちゃんと残るので助かります。IDではどうしてもね、毎週変わっちゃうし……

一番最初の話に戻るけど、私のコミュ障は一生なおらないと思う。自分で『十分なコミュニケーション』がとれてると思えないし、とれる日が来るとも思えないから。
それでも健康に生きてる間は、現在やってるゲームサービスが終了しても何らかのカタチでライブを続けていくつもり。しゃべるため、要は自分のために。
じじいになってもやるつもりでいるから、気の長い人はよろしくお付き合いください。

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